星と願い事
人間ってなんで生きるんでしょうねえ。
もっと言えば、生命ってなんのために存在するんですかねえ。
この世界は?宇宙は?星は??
昔は、40歳と言えばもう老婆で、寿命だったりしたよね。ここまで必死に生きてきて、コツンと、そんな疑問にぶつかった。昔なら、そんなこと考える間も無く死んでたかな。
今は、子どもがいるから、と思うけど。じゃあこの子たちのその先は??
楽しく生きて死ぬことに、何か意味があるんだろうか…辛くても悲しくても楽しくても幸せでも、結局、すべては無に還る。
無なのかな。
わたしが生きてきた理由の1つに、死の先に、地獄があって今よりもっと苦しかったら嫌だなあ…っていう。みんな天国に行く、もしくは本当に何もなくなる、なら、死にたい、と今でも思う。でも、自殺は罪で、死んでからもまた罰を受ける…という漠然とした不安があって生きてる。
生きるのにとても消極的です。
積極的に生きても、いい結果って無かった(そもそも、わたし定義の積極的が積極的ではないという話もある)。
わたしは、異性を特に異性として意識することがあまりなく、だいたい、人と関わること自体苦手だったので、一人で生きていくのだと思っていた。
しかし、大きな落とし穴…致命的に、コミニュケーション能力が欠如してて、仕事もできなかった˚‧º·(˚ ˃̣̣̥᷄⌓︎˂̣̣̥᷅ )‧º·˚
ので、たまたま、なんとなく結婚のチャンスがあったのでしてみた。ダメなら別れればいいや。
なんてかなり後ろ向きな結婚だったけど、なんだか続いてしまった。
人を避けてた頃は、自分へのご褒美的な夢をよくみてた。
趣味を楽しもう。たくさんマンガを読んで、アニメを見て、イベント参加して。ブランドに興味はないけど、唯一、カルティエのプレスレットはデザインが気に入って、いつか買おう。
某コンピュータ学園でデザインを学んで、でもそれは結局趣味の範囲で終わり。
今の願い事は…
子どもたちが、幸せに過ごすこと。
時が過ぎて季節がうつろって場所が変わって生きる目的も楽しみも、すべて変わった。
ものを作ることも、子どもたちに何かを伝えよう、とか。人と関わることを選択したりとか。
子どもの頃見た空とか星とか月とか、ドキドキしたワクワクした気持ちとか今はもうなくてちょっとつまらない気もするけど、全然違うものに新しいものを見出してる。
未だに、なぜ生きるのか、とか考えても何もわからないけど、願い事は尽きなくて、まだ生きていくんだなあっていうのは感じる。
いろんなことがいつか塵になって消えたとしても。
時間が経っても気持ちを表現する意味
「時間が経ってから言っても相手は忘れてるかもしれないし…」
その場で言わないと意味がない。
とは、わたしも言われた言葉。何度も。
どうして嫌だと言わないのか。
そういう類の話。
言える人には理解できないのかもしれない。
大人になってからどうこうとは思わない。仕方ないと諦めてる部分がある。愚痴として誰かに聞いてもらうこともある。そういう、表現の場所や仕方を覚えた。
でも、まだ子どもには…?もともと表現することが苦手でその場で言えない子どもは、ていうか、子どもって、愚痴を言う???あとからぐちぐちと言う子どもはあんまりいない気がする。
じゃあ気持ちはどこに消えてるのか。忘れてるのならそれはそれでいい。嫌な気持ちとして残ってないなら。
わたしは、ぐっと飲み込んでた。親が話せるタイプだったら、話してたのかなあ?
「それくらい自分で伝えなさい」
「今更言われても仕方ない」
伝えられない自分がダメだ。
その場で言わなかったからダメだ。
あとから言ってもダメだ。
ガマンするしかない。
子どものうちはいつまでも覚えてて辛い、ということはそんなになかった気もする。
徐々に、失敗の記憶が積み重なるようになっても、表現することはできなかった。時間が経ってから話しても親身になって聞いてもらえると経験上知ってたら、負担になる程溜め込まないうちにせめて吐き出すことができるように…なってなかったかな???
まあ、憶測だけど…
けど、訓練って、そういうもののような気がする。
無理矢理にでもやってきたことは、遅まきながらもできるようになったこともある。
諦めて押し込めた気持ちは、今更出してもそう簡単には清算できない。自分のタイミングでもっと気持ちが軽いうちに吐き出せる時に吐き出せたら、どうだったんだろう?と思った。
「もう時間が経ってしまったから本人に伝えるには遅いかもしれないけど、よく話せたね。また何か悲しいことや辛いことがあったら、時間が経ってても話して欲しい。気持ちを表現することは大切だから。そうやって少しずつ、心に溜まる時間を短くしていけたらいいね。」
って気持ちで、子育てをしていきたいと思ってる。
もしそれが長男にとって最善でないとわかったらまた別の方法を考えるけれど、わたしはわたしの経験から、アプローチをしてる。
既に長男はすぐに表現できなくて誤解を受けたりしてる。大人から厳しい言葉を浴びせられてる。
少なくとも、そういう悲しみを減らせたらと思ってる。
2017年6月29日(木)焼肉BD会
近々お誕生日の方がいらしたので、年に一回?の焼肉イベント(そんな会だっけ?
をしました!
焼肉といえば、の。
序章。
宇宙人襲来。
地球の危機。
鎮圧の宴。
平和を願って。
あ、違うね…たこを焼き始めたあたりからいろいろ違う。とりあえず、平和でしたってことで。
久しぶりな〜Mちゃん。
なんか少し雰囲気変わってた。
ガチで、レジンのレベルアップしてた!
継続は力なり…続けられる彼女は素晴らしいです。わたしは…がんばります˚‧º·(˚ ˃̣̣̥᷄⌓︎˂̣̣̥᷅ )‧º·˚
やっぱり、発達の話題は尽きないね。
子どもの話も多かった。
自分たちのこともだけど、これからの子たちのことも気になるよ。
個性なのか環境なのか…ストレスなのか自己表現方法なのか…いずれにしても、なんらかの支援が必要。まだ今は。
というか、永遠に、発達障害という枠が少数派で別枠扱いであるうちは、支援が必要だよね。いつか、支援、という形を取らなくても過ごしたいから世の中がきたらとは願うけれど。
Nさん大先輩の話も大変参考になりました。
転んでも手を差し伸べあってなんとか生き抜いてやりましょう〜