より良い明日のために
最近何かと、普通、になったなあって思うし、普通って言われるし。メンガヘラッテルなんて全然わからないって言われるし。
良いことだけど、ちょっと悲しいことでもある。
楽しい青春とか学生時代とか、20代のキラキラした感じとか、まったくなく生きてきて、でもきっと、そういうのも当たり前に経験してきた普通の人、と思われてしまうこと。
こんなこと言うとまた、
不幸自慢でもしたいの?
とか思う人もいると思うんだけど…
違いますよ?
ただ、普通じゃなかったわたし、も、わたしであったし、普通でなかった頃のわたし、と、精神面が劇的に変わってるか、というと、そういうわけでもないんです。
経験を積んで克服したんだね、とか、努力して自分を変えたんだね、とか、そういうの、なんか違うんです。
わたしは、普通じゃなかったけど、この世界は、わたしが普通であることを望んでて、普通でなければ生きる価値がないくらいの経験をたくさんしてきて、仕方なく、変わったんです。
残念ながら、内面はそんなに変わってません。見た目だけ化けた、とでもいいましょうか。
自分の内面を、うまく外に出すことができるようになった。
今のわたしが、もし本当に普通に見えるなら、だから、過去のわたしは、がんばらない怠け者でもなかったし、人のことを考えない協調性のないわがままな人間でもなかった。
じゃあ、なぜ、みんなあんなにわたしを責めたのか…
それがなんだか悲しく残ってしまう。
わたしは変わってない。ネガティヴだし、不器用だし、人や集団は怖いし、おっちょこちょいだし。
寂しがりやで人が好きで、優しくなんかなくて、ヘタクソでも何か作って絵を描いて。
空を眺めて、朝と夜を繰り返して、たくさんの夢を見て。
この先のことがわからなくて不安で。
いつでも消えたくて。
ふるまいが変わったなら、努力した。だからあなたは変わったと、やっぱり言われるんだろうけど、何かそれは悲しいんです。
あの頃のわたしは今よりもっとがんばってた。
それを見過ごされて、いろんな人に嫌がられて、不快にさせて。
気持ちは何も変わってない。
周りに嫌な思いをさせず、笑顔でいて欲しかった人たちがたくさんいた。でも、わたしはその人たちの笑顔をほとんど見ることなく、わたしの嫌な人間らしい振る舞いのせいで、怒りや不快の表情だけを見てきた。
今は、笑顔に笑顔が返ってくることがとても安心することなんだって思う。子どもたちに笑いかけると、必ず笑い返してくる。当たり前のことなんだろうけど、それすらできなかったわたしは。
表面的には、普通の人になって、いろんなことがまたわかってきた。でも、目指したのは、そこじゃないんだな…
普通でも、朝起きて歩いてから朝の家事して仕事に行くなんてなかなかしないよーすごいよー全然大丈夫だよー
わたしは、ただ、もっと、より良くしたいだけ。体力をつけること。生活を整えること。やっとその基本的なところに気を配れることができるようになった。それもムラがあるけど。
普通だよ。
普通じゃなくても良かった。ただ、苦しい辛いが嫌だった。
これからも、別に、普通じゃなくていい。ただ、生きなきゃいけないならよりよく生きたい。悲しい顔のお母さんじゃなく、笑顔の、元気な、お母さんでいたい。
早寝早起き適度な運動
ウォーキンランニングはじめました。
まず最初の目標は、30分で4km。
ややダイエットも意識して食事も気をつけようと。思いつつ今日はランチを外で食べて後で調べたらすごいカロリーだった…
ま、まあ、第1は体力つけることだから!!!
夏休みが近づき、いつになくいろいろ予定を立てたはいいけど、こなせるだけの体力がないのでは…というのが発端。
山道を子連れで歩く。山道を昆虫探索する。など。
5月のキャパオーバーですっかり体調を崩してしまってやっと回復してきたので、朝も明るくなったし、ウォーキンランニング再開!今回は、ニューバランスのウォーキングシューズも二足きちんと準備したので、1日おきに靴も変える。
今日で6日目だけど、なんか、やっぱり調子いいような!
朝の空も気持ちよくて、心にも風が吹く。
こんなのも買ってみました。
お腹痩せてもなかなか引き締まらない…のはやはり少し外からも締めないとダメかなー?とか。
来年はおばさん体型(おばさんだけど)とさよならして、スパレジャーランドに行きたいんだ。
伝えたいことが伝わらない
ものすごく病んでた時、
「人の2、3倍がんばらないといけないねえ」
って言われた。
病んでる時に相談しても、コミュ障だったし、甘えてるとか、免罪符にしようとしてる、とか思われなかった。
がんばることしかできなくて、ずっとがんばってきて、やっと「普通」「違和感ない」「馴染んでるから大丈夫」って言われるようになったから、カミングアウトして、精神疾患や発達障害者だって、真面目に生きたい楽しくいきたい、ってことを伝えようとしたら、それはそれで、今度は、普通だからか気に悩むことないみたいに言われて、あんまり聞いてもらえなくなった。
みんな、興味がないんだな。
興味がないことは、なんだかんだ理由をつけて目を背ける。
自分を改善したいという、メンヘラの気持ちがわからなくて、それくらい大丈夫、くらいで流されちゃう。
結局どうやっても伝わらないって感じた。
自分が困らなければ困ったことがなければ気にしない。何か困った事に巻き込まれたら、対象を責めて、深く関わろうとしない。
みんなで考えて、みんなが心痛めない社会ってのは、ないんだなあ。
◯◯さんよりマシ。うん、でも数年前までその◯◯さんレベルだったよ。
社会に馴染めてるから大丈夫。うん、まあ、ヘルパーさんに入ってもらったり、いろんな支援受けてるけどね…
今は社会のクズ、くらいに思われてる人でも、本当にがんばって、生きようとしている人がいるってこと、這い上がって普通、と呼ばれるところまで来れる場合もあること。
そういうのを伝えて、こいつは役に立たないってはなから諦めないで、向き合って、社会の一員として力を合わせていきていけるような世界にしたい、というのが伝わらない。