常識的なことすらできない誰かへ
常識的なこと。
人と接するときは笑顔で。
あいさつ謝罪お礼はきちんとする。
他者への気遣いを忘れない。
すべて、わたしが苦手とすることでした…
やる気がないわけじゃないんです。
そうできたらどんなにかいいかと思ってました。必死に考えてみる。必死にやろうとする。
けど、笑顔は信じられないほど頰が痙攣し作り笑いすらできない。あいさつお礼謝罪はタイミングがわからなくて、あれまとしているうちに言い損ねてしまう。謝りすぎて軽々しく謝るな、的なことを言われる。
他者への気遣いどころか、自分の身の回りのことすらできない…
常識がない。わたしを通して親や学校を卑下される。他者への思いやりがない。協調性がない。
悲しくて悲しくて。
ツイッターをはじめて、更に、自分は少数派なのかなあと感じた。
笑顔だけは忘れずがんばってました。
あいさつお礼謝罪は常識だよね。
最近の若い子は挨拶すらしない。
発達障害だけど、わたしは、そういう気持ちを大事にしてちゃんとやってる!
そう主張できてる人が多いなあって…
わたしは、それすらできなかったのさ。
だから、最近の若い子は、とか、常識っていうのは少なくともあいさつは最低限、とか、当事者さんすらそういう話をしてると、やっぱり、切なくなる。
あいさつしない人を見ると、単純に、無愛想な人、とも思えない…(本当に大半はそうなのかもしれないけど
わたしだって、相手が不快にならないようにあいさつしたかったしお礼も謝罪もしたかった。今になってだんだんできるようになって、あのとき、わたしは、人のことも考えられないダメ人間だと思っていたけど、内面はさほど変わってないよ。やっと、思ってることが表面に出せるようになってきてるとは思う。
だから、人のことを思いやれない人間、というわけではなかった、と確信してるよ…
苦手なこと。理解されにくい苦手なことだった。
もし、他にもそういう人がいたら、あいさつすらできない、お礼も謝罪もうまく言えない人がいたら、気持ちがあるなら、人間としてダメだってことじゃないよって言いたい。
表現することがむちゃくちゃ苦手で、苦手なだけだよ。
いつか、力抜いてできるようになるといい。
それは、環境も大きいよ。自分だけを責めないで欲しいし、周りの人も、見えないだけかもしれないってちょっと思ってくれたらなあ。
常識的なことすらできなくて迷惑もかけただろうし、不愉快な思いもさせただろうと、申し訳なくは思うけど、わたしもできないぶん、苦しんだよ。他の人は嫌なら離れればいいけど、わたしは、わたしから逃げることはできなかったから。
たくさんの、声をかけてくれた人、手を差し伸べてくれた人にありがとう。そして、残念ながら、嫌な思いをさせてしまった人にはごめんなさい…
これから出会う人には、こんにちは、これからよろしくお願いします。
幸せになろう。